祝 創立120周年 横山第一小学校 校歌の作詞作曲は超有名人だった。
昨日は、創立120周年が、
横山第一小学校であった。
市制百周年を迎えたばかりの
八王子市長は、残ながら欠席だった(トホホ)
コメ百俵の長岡藩に顔向けできないぞ。
【校歌】
この学校の校歌は
作詞 勝 承夫、作曲 平井 康三郎だ。
作曲した平井は、日本人なら誰でもが知る
『やまは しろがね あさひをあびて』のスキー
NHKみんなのうたのとんぼのめがね。
校歌を作詞した勝 承夫は、スキー、
『こごつねコンコン やまのなか』のこぎつねの作詞家だ。
名曲 平城山の作曲家でもある。
https://www.youtube.com/watch?v=vR-YlpyUCR0
平井康三郎:平城山(北見志保子)Narayama - YouTube
また、さくらさくらをピアノ用に編曲し、
国際社会にさくらさくらを紹介した。
わたしは知らない歌だが、作詞勝 作曲平井で
『みんなでまわるくすわりましょう』のそうだんもある。
横山は万葉集にあるように
馬を放牧するもともと丘だった。
横一は高尾山の麓にある小学校だ。
記念行事の中で、校歌は昭和39年に
作られたことを知ったが、そんな有名な人が、
作詞作曲しているとは、興味深い。
【記念コンサート】
創立120周年記念式典に先立ち、
平井康三郎のお孫さんの平井李枝さんの
記念コンサートがあった。
平井康三郎の作曲した曲を堪能した。
締めは、校歌と平成29年度卒業生が作詞した
愛唱歌『ゆめのはな』だった。
ゆめのはなは、下校時に児童が、
合唱していたが印象的で、とても素敵な曲だ。
【記念式典】
記念式典では、学校運営協議会会長の
第一小学校は、数あれど、
甲州街道から遠く離れた地にある小学校が、
第一と名付けられたのは、
地元の子供の教育にかける意気込みで、
多額の寄付が、早期創立を後押ししたとのこと。
まさに八王子版コメ百俵だ(驚いた)
写真を用いて、学校の歴史を紹介された。
その中で、京王電鉄のめじろ台マンション、
住宅地造成工事に伴って、
学校の増設が求められたが、
当時の八王子市には余裕がなかったので、
PTAに用地買収交渉が委ねられた(意外)
交渉が纏まって、八王子市が予算を
組んでくれたとの逸話が
90歳の元PTA会長から紹介された。
皆さん、子供のためと土地を寄付されたようだ。
おかげさまで、今も、自慢できるほど広大な敷地だ。
当時は先生は聖職者で、尊敬されていたが、
朝鮮総連が頭をとる日教組が浸透するにつれて、
どこの町でも、先生を労働者にしてしまった。
そのため、モンスターペアレント襲撃や、
不審者の襲撃を受けたり、
毎日、8時まで仕事をする羽目になっており、
東京都でも10年前で、1万人以上が
病気で休職するなど、激務だ。
放課後は、一斉下校だ。
横一も例外なく、先生とドッチボールや
ソフトボールをする姿などない。
学校の周りは、フェンスで囲まれ、
プールは塀の中と閉塞感がある。
横一の子供たちが、地域の担い手となりますように!
横一が益々、発展しますように!
横山第一小学校であった。
市制百周年を迎えたばかりの
八王子市長は、残ながら欠席だった(トホホ)
コメ百俵の長岡藩に顔向けできないぞ。
【校歌】
この学校の校歌は
作詞 勝 承夫、作曲 平井 康三郎だ。
作曲した平井は、日本人なら誰でもが知る
『やまは しろがね あさひをあびて』のスキー
NHKみんなのうたのとんぼのめがね。
校歌を作詞した勝 承夫は、スキー、
『こごつねコンコン やまのなか』のこぎつねの作詞家だ。
名曲 平城山の作曲家でもある。
https://www.youtube.com/watch?v=vR-YlpyUCR0
平井康三郎:平城山(北見志保子)Narayama - YouTube
また、さくらさくらをピアノ用に編曲し、
国際社会にさくらさくらを紹介した。
わたしは知らない歌だが、作詞勝 作曲平井で
『みんなでまわるくすわりましょう』のそうだんもある。
横山は万葉集にあるように
馬を放牧するもともと丘だった。
横一は高尾山の麓にある小学校だ。
記念行事の中で、校歌は昭和39年に
作られたことを知ったが、そんな有名な人が、
作詞作曲しているとは、興味深い。
【記念コンサート】
創立120周年記念式典に先立ち、
平井康三郎のお孫さんの平井李枝さんの
記念コンサートがあった。
平井康三郎の作曲した曲を堪能した。
締めは、校歌と平成29年度卒業生が作詞した
愛唱歌『ゆめのはな』だった。
ゆめのはなは、下校時に児童が、
合唱していたが印象的で、とても素敵な曲だ。
【記念式典】
記念式典では、学校運営協議会会長の
第一小学校は、数あれど、
甲州街道から遠く離れた地にある小学校が、
第一と名付けられたのは、
地元の子供の教育にかける意気込みで、
多額の寄付が、早期創立を後押ししたとのこと。
まさに八王子版コメ百俵だ(驚いた)
写真を用いて、学校の歴史を紹介された。
その中で、京王電鉄のめじろ台マンション、
住宅地造成工事に伴って、
学校の増設が求められたが、
当時の八王子市には余裕がなかったので、
PTAに用地買収交渉が委ねられた(意外)
交渉が纏まって、八王子市が予算を
組んでくれたとの逸話が
90歳の元PTA会長から紹介された。
皆さん、子供のためと土地を寄付されたようだ。
おかげさまで、今も、自慢できるほど広大な敷地だ。
当時は先生は聖職者で、尊敬されていたが、
朝鮮総連が頭をとる日教組が浸透するにつれて、
どこの町でも、先生を労働者にしてしまった。
そのため、モンスターペアレント襲撃や、
不審者の襲撃を受けたり、
毎日、8時まで仕事をする羽目になっており、
東京都でも10年前で、1万人以上が
病気で休職するなど、激務だ。
放課後は、一斉下校だ。
横一も例外なく、先生とドッチボールや
ソフトボールをする姿などない。
学校の周りは、フェンスで囲まれ、
プールは塀の中と閉塞感がある。
横一の子供たちが、地域の担い手となりますように!
横一が益々、発展しますように!
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