上川外務大臣は、18日に静岡県知事選挙の応援で発言した「うまずして何が女性か。」が、問題になっていると、NHKR1のニュースで報道されていた。しかし、この発言について19日に静岡市内で記者団に対して、撤回をした。早い!
上川外務大臣は、静岡県知事選挙の応援で、地元の静岡市で開かれた200人の女性支持者らが出席した集会で、候補者への支持を呼びかけたうえで「一歩を踏み出したこの方を、うまずして何が女性か。
初陣の時に『うみの苦しみにあるが、ぜひうんでください』と訴えたが、うみの苦しみは本当にすごい。
しかし、うまれてくる未来の静岡県や今の静岡県を考えると、私たちはその手を緩めてはならない」と訴えたことが、NHKR1のニュース報道になった。多様化時代に反する発言として問題になっているのである。
【教員の意識革命】
昭和時代に子どもたちのしつけを担っていたのは、教員だった。
昭和の30年代は、「でもしか先生の時代」で、料亭でどんちゃん騒ぎをしていたのは、教員たちだったし、それが認められていた。
だが、今の40代以降の皆さんの初等教育から、時代は大きく変わり、教員の聖職意識から一労働者への意識革命があり、輿石 東(こしいし あずま)副委員長と自衛隊を否定するミスター日教組と呼ばれ、1973(昭和49)年に訪朝した槙枝 元文(まきえだ もとふみ)委員長の指導する日教組。
ストライキを交えた激しい政治闘争と労働紛争を通して給与も大幅にアップした。これを境に、黙っていた父兄や近隣住民の学校を見る目が一変してしまった。
二人の日本教育界に与えた負の面の業績が、余りにも大きすぎるのだ。酷過ぎるのだ。住民は、赤旗に囲まれた会社が、ドンドン消えて行ったのを観ているからである。
【教員による躾の禁止】
当然、学校が子どものしつけを社会から担っていたが、教員の料亭など外での飲食が禁止されて、教育基本法の厳格な執行が、強制されて、如何なる躾と体罰も禁止されてしまった。
その上での、「うちの子どもが、…」というモンスターペアレント襲撃が、連日、深夜まで続く。学校への暴力的襲撃が、全国で相次ぎ、塀で囲まれたのもこの時代である。
【個性の排除】
全員平等主義で、学業成績表から5段階評価がなくなり、競争は悪だと運動会でも全員が一等賞を授与され、危険だとして持久マラソン大会がなくなった。学校での学業と体力向上の努力も排除された?
その裏で、父兄は塾やプールなどに学業と体力向上を求めた。(実は塾やプールなどの経営運営は在日の皆さんが、担う。)当然、家族総出で、近所の人も応援に出かけた運動会も、親も来なくなった。全員、一等では応援する価値もなくなったのである。
あつれき
【近隣住民と学校との軋轢】
近隣の新住民の無理解と過激化と父兄や教員組合の価値観の変化を通じて、学校騒音だと校庭で声を出して遊ぶことが禁止され、ラジオ体操も禁止され、運動会の練習期間も超短縮どころか、組体操がなくなった。放課後は、校庭で遊ぶことが、禁止され直ちに、帰宅することとなった。
だだし、八王子では住民の意識と団結力の強い地域性にある八王子市立東小学校と弐分方町の小学校は、東京都教育委員会のモデル校になっていて、モンスターペアレント襲撃もないし、校庭の利用や運動会のあり方について、新住民を含めた地域からの要求も規制もない。
逆に、町田市の幼稚園の運動場は、一律に地下一階にある。「一等地に似合わない」「おしゃれな街に似合わない」と反対された東京都港区南青山の児童相談所などの複合施設「港区子ども家庭総合支援センター」が4月1日にオープンしたが、全国各地で反対運動がある。
【子どもを見る冷ややかな目】
公園で声を出して遊ぶことも、球技をすることも市町村の看板が迷惑行為として厳しく禁止している。このように平成時代は一事が万事で、子どもたちは際限なく家畜化されてしまった。
【抑圧された教員】
このために、教員たちは憂さを晴らす場もなく閉塞感と抑圧の中に置かれて、東京都では、ここ17年間を観ても、毎年1万人近い教員が、精神や胃腸など身体を患って休職を余儀なくされている。
中には、駅での隠し撮りや痴漢行為で憂さを晴らして処罰を受けて辞職するものが、後を絶たない。ホスト狂いに走って、その挙句が借金返済のため風俗で働く教員もいて、辞職に追い込まれている。
その結果が、新聞報道にある通りで、教員の4割が創価学会の会員である。政治、司法、教育分野に進出を計った池田大作(本名:成大作)の日本占領政策は、狙い通りであるが、教員分野は精神的に実に過酷で気の毒である。
上川陽子外務大臣の発言の前に、教育の正常化をほど課さずして、多様化は止まらない。その意味では、上川陽子外務大臣の発言は、戯言だ。
初陣の時に『うみの苦しみにあるが、ぜひうんでください』と訴えたが、うみの苦しみは本当にすごい。
しかし、うまれてくる未来の静岡県や今の静岡県を考えると、私たちはその手を緩めてはならない」と訴えたことが、NHKR1のニュース報道になった。多様化時代に反する発言として問題になっているのである。
【教員の意識革命】
昭和時代に子どもたちのしつけを担っていたのは、教員だった。
昭和の30年代は、「でもしか先生の時代」で、料亭でどんちゃん騒ぎをしていたのは、教員たちだったし、それが認められていた。
だが、今の40代以降の皆さんの初等教育から、時代は大きく変わり、教員の聖職意識から一労働者への意識革命があり、輿石 東(こしいし あずま)副委員長と自衛隊を否定するミスター日教組と呼ばれ、1973(昭和49)年に訪朝した槙枝 元文(まきえだ もとふみ)委員長の指導する日教組。
ストライキを交えた激しい政治闘争と労働紛争を通して給与も大幅にアップした。これを境に、黙っていた父兄や近隣住民の学校を見る目が一変してしまった。
二人の日本教育界に与えた負の面の業績が、余りにも大きすぎるのだ。酷過ぎるのだ。住民は、赤旗に囲まれた会社が、ドンドン消えて行ったのを観ているからである。
【教員による躾の禁止】
当然、学校が子どものしつけを社会から担っていたが、教員の料亭など外での飲食が禁止されて、教育基本法の厳格な執行が、強制されて、如何なる躾と体罰も禁止されてしまった。
その上での、「うちの子どもが、…」というモンスターペアレント襲撃が、連日、深夜まで続く。学校への暴力的襲撃が、全国で相次ぎ、塀で囲まれたのもこの時代である。
【個性の排除】
全員平等主義で、学業成績表から5段階評価がなくなり、競争は悪だと運動会でも全員が一等賞を授与され、危険だとして持久マラソン大会がなくなった。学校での学業と体力向上の努力も排除された?
その裏で、父兄は塾やプールなどに学業と体力向上を求めた。(実は塾やプールなどの経営運営は在日の皆さんが、担う。)当然、家族総出で、近所の人も応援に出かけた運動会も、親も来なくなった。全員、一等では応援する価値もなくなったのである。
あつれき
【近隣住民と学校との軋轢】
近隣の新住民の無理解と過激化と父兄や教員組合の価値観の変化を通じて、学校騒音だと校庭で声を出して遊ぶことが禁止され、ラジオ体操も禁止され、運動会の練習期間も超短縮どころか、組体操がなくなった。放課後は、校庭で遊ぶことが、禁止され直ちに、帰宅することとなった。
だだし、八王子では住民の意識と団結力の強い地域性にある八王子市立東小学校と弐分方町の小学校は、東京都教育委員会のモデル校になっていて、モンスターペアレント襲撃もないし、校庭の利用や運動会のあり方について、新住民を含めた地域からの要求も規制もない。
逆に、町田市の幼稚園の運動場は、一律に地下一階にある。「一等地に似合わない」「おしゃれな街に似合わない」と反対された東京都港区南青山の児童相談所などの複合施設「港区子ども家庭総合支援センター」が4月1日にオープンしたが、全国各地で反対運動がある。
【子どもを見る冷ややかな目】
公園で声を出して遊ぶことも、球技をすることも市町村の看板が迷惑行為として厳しく禁止している。このように平成時代は一事が万事で、子どもたちは際限なく家畜化されてしまった。
【抑圧された教員】
このために、教員たちは憂さを晴らす場もなく閉塞感と抑圧の中に置かれて、東京都では、ここ17年間を観ても、毎年1万人近い教員が、精神や胃腸など身体を患って休職を余儀なくされている。
中には、駅での隠し撮りや痴漢行為で憂さを晴らして処罰を受けて辞職するものが、後を絶たない。ホスト狂いに走って、その挙句が借金返済のため風俗で働く教員もいて、辞職に追い込まれている。
その結果が、新聞報道にある通りで、教員の4割が創価学会の会員である。政治、司法、教育分野に進出を計った池田大作(本名:成大作)の日本占領政策は、狙い通りであるが、教員分野は精神的に実に過酷で気の毒である。
上川陽子外務大臣の発言の前に、教育の正常化をほど課さずして、多様化は止まらない。その意味では、上川陽子外務大臣の発言は、戯言だ。
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