八王子市『ほたるの川』の距離をガミンで、2.32kmと実測した。一方、館町御霊神社にある長いのが話題になる湯殿川紫陽花小路の距離は、250mあった。本当に、草ぼうぼうなのが、実に惜しい。

【ほたるの川】

 めじろ台グリンヒル通りの椚田橋を出発して、湯殿川の行き止まりまでの距離をロードバイクに取り付けたガミンで測定した。平均速度 11.8km/hで、11分48秒でしたので、歩行すれば一時間足らずであろうか。
 距離は、2.32km
 上昇高度は、32m

 なお、遊歩道を椚田橋から百メートル進むと、湯殿川の河口から5,9キロポストが、路面に設置してあった。私が健康を害した時に、医者は確か、
一日50分は歩くようにアドバイスをくれたと思う。片道25分の距離だから、1.5キロを往復することになる。疲れ切った環さんが、わたしに歩行運動に付き合って、近所のフードワンまで、雨の日も雪の日も歩いて買い物に行ってくれたから、命を縮めてしまったのかなぁ。引っ越ししてきて、”ホタルの川”を、毎日一人で往復していたら、あの事態にはならなかったなぁ。

 健康づくりを始めるのは、『いつでしょう。今でしょう。』
 スロージョギングが、流行っているようで、そのせいか真顔でスロージョギングをしている人たちをよく見かける。歩くスピードの時速3キロよりも若干速い4~5キロで歩く。疲れたら、無理をしないで、普通に歩く。週に3時間以上のスロージョギングを目標とするようだ。

 かなり以前のことになるが、近所でも夜にグループで歩いていたご婦人方がいて、健康的だなあと感心していた。たが、皆さん膝を悪くして、いつの間にか止めてしまった。膝に体重の3倍の衝撃が加わるから、心掛けは良かったが、靴が悪かった。アシックスなどのクッション性のある高級な靴を履かないと、ダメだった。医者に払うよりも、靴屋に払いなさいということでしょうか。多くの山友達も、60を超えると膝を悪くして、山に行った話を耳にしなくなった。

 藤棚のある所で遊歩道は大きく曲がると、ほたるの川終点は近い。地蔵橋と上館公園を通り過ぎると行き止まりだ。そこにも、光るものが設置してあった。距離ポストかと覗くと、見たことのない二級基準点だった。なお、ここ行き止まりに建つ建売住宅9棟の入居が、今日あった。
 行き止まりにある暗闇にほたる乱舞する姿を見れたのは、昨日土曜日が,、見納めだったかも知れない!


【紫陽花小路】
 都内では、一番長い紫陽花の咲く道ということだが、手入れがされてなくて草茫々としているのが、残念だ。それにしても、場所によって生育具合が、大人と幼児ほど,生育具合が随分と違うのが、興味深い。同じ業者が、植栽工事をしたとして、水とか、日当たりなどが、関係しているのであろうか。


 距離は、0.25km
 上昇高度は、4m

 最初の傾斜が、一気に4メートルもあるので、自転車のギアの切り替えのタイミングを逃すと、絶対に登れずに立ちごけする怖い~道だ。初心者は、小路に入るときに、ギアを切り替えて置くのが、無難だろう。目の前で、小学校6年生二人は自転車で登り切ったが、一人は降りて押して登って行った。

 それにしても、日本でも指折りの大規模な紫陽花小路を造るのなら、京都の長谷寺と三室戸寺、金沢市の兼六園、高松市の栗林公園、岡山の後楽園や水戸市の偕楽園とまでは、言わないが、南浅川の桜並木のように庭師を置いて常日頃の植栽管理をしても、良かったと考える。

 行政任せにするのはどうかと思うが、造成して20年以上も、春秋の年間2回の剪定だけとは、インスタ映えが大切にされる昨今なので、草ぼうぼう、生育具合がバラバラでは、ビュジュアル的に実に惜しい。

 戦後80年も経過したのに、惨禍を生き抜いた被爆桜が、幹を残して焼けながらも今年も満開の姿を見せたのは、ひとえに爆心地のサクラの保護活動を続けるNPO二葉の里に桜並木を復活させる会の田邊良平理事長。この専属の庭師の御蔭と聞く。


 このエリアの区画は、蔦と藪枯しに竹が、生い茂り、完全に日影状態で弱々しくて、とても花を付けれる状態でなく、もうダメかと思えた。そのせいか東京都の委託業者も手をつけることは、なかった。外からは見えないので、『雉撃ち』にも利用されており不潔だった。竹などを綺麗に刈り払った。竹・笹、太い倒木も1メートルの長さにしないと、清掃工場に持ち込めないので、後片づけは4年掛かりの根気仕事であった。花は、見よう見まねで剪定した。2年目の結果が、画像の通りに嘘みたいに花が咲いた。神社の横とは違い実に見事な咲きぶりだ。奥行きが10メートルはあるのに、誰も上から俯瞰できないのが、残念だ。

(補足2024/6/12)

 

 ここには改修工事期間は事務所が置かれていた。現在も紫陽花の20センチ下を掘ると駐車場に敷き詰められ砂利床にあたる。紫陽花が育つのが、まさに奇跡である。なお、左手の栗の巨木は、全て藪枯らしのため弱っていた上に、千葉を襲った台風のために根元から倒壊した。これも、プラスチック製品に追われて、竹かごなど竹を使う文化が衰退し竹林が管理放棄されたためである。子や孫に受け継れなかった里山の光景だ。蛇足ながら、歴史的な事は分からないが、東京都の境界の杭の中を含めて、この一体には厚く砂利が敷かれていることから、昔から荷馬車置き場でもあったようである。

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