やっぱりなるしまフレンドの会長は、凄いわい。大垂水峠を登っていて、改めてそう思った。若い女性を70人も引率して立川を出て、一人の落伍者(千切れる)を出さず、JR四方津駅往復!イーランだ。それを想って、やっとの思い棡原にある不動の滝を往復してきた。
11月25日、今日は、願ってもない快晴だ。寒くもない。この日を逃したら、暫らくは行けない。かといって、車で行くのも、芸がない。やっぱり、ロードバイクだ。
目的地は、上野原市棡原地区だ。昭和の末期に都市一極集中政策が続いていたこともあって、住民の7割が、人や商店の密集した上野原市の市街地に転居してしまた地区である。コヤシロ山から富士山を撮影する絶好のチャンスだ。その後で、元気が残っていれば小菅村に近い不動の滝を撮影することだ。自宅を11時前にでたが、大垂水峠越えが、思ったよりキツイ。
甲武トンネルの帰路に上野原で出会ったなるしまフレンド イーランを思い浮かんだ。若い女性を70人も会長が引率してJR四方津駅の帰りだといっていた。下りも登りも関係なく、常に平常心でケインズとスピードを一定に保って、ペタルをクルクル回す。それを、思うと何にも言えない。ここは、弱音を吐かず黙々と大垂水峠越えをするばかりだ。
峠に着いたが、会長馴染みのラーメン屋『富士屋』がない。閉店したようだ。雛鶴峠を越えて、富士急の禾生駅帰りには、必ず立ち寄った。何も食べない極限状態で、大垂水峠を降りると、身体がゆうことを効かないハングノックに、かかって危ないからだ。
峠を越えると、こちらのものだ。なるしまフレンド イーランを思い浮べて、すいすいとペタルを漕ぐしかない。相模湖駅、藤野駅を越えて上野原市街に入った。甲武トンネルを経て東京都檜原街道に通ずる上野原あきる野線に、道路案内板を視て右折する。
【鏡渡橋】
この県道は、やたらと橋が多いが、川を渡るための橋ばかりではない。多くが、曲がりくねった山道を直進するための橋だ。最初に出会うのは、鏡渡橋だ。烏帽子のデザインが、ユニークだ。
傍らに松尾芭蕉の句碑があるが、字が摩耗して読めない。松尾芭蕉は山梨では一句も詠んでいないので、 句碑は全て後世のもの地元の句会の皆さんが、この地がふさわしいと、立てたものだ。天保14年(1843年)に、八米部落連中建立した。鶴川の川床に落ちていたものを引き上げ 昭和三十六年修造して鏡渡橋畔に立てたと、記録がある。
ほとゝきす横たふ聲や水の上 はせを
【棡原大橋】
次が棡原大橋だ。わざわざ橋の名前に大を付けてのは、きっと意味がある。碑文
「古来、村人は健康で人情に篤く、粗衣粗食、耕雲種月の日々を楽しんできた…(中略)…女性は多産且つ母乳豊富、老人は皆天寿を全うしまさに、身士不二(しんどふじ)の桃源郷である」
ここに日本医師会が建立した石碑『長寿村 棡原』があるが、自転車でもスピードが一番出るので、見逃してしまう。ましてや、地元の車でも、気付かないようだ。NHKの歴史探偵の官庁風の人に出会った。富士山が、綺麗だったと感動に満ち溢れておられた。でも、ふるさと長寿館のお姉さん曰く、午前中しかダメだよと!午後は、水蒸気があがるらしい。
【登下部落】
富士山展望の期待を胸にここから、自転車では登れない程の急坂を登って行く。子ども達は、この坂を上り下りして、登下校していたかと思うと、感慨深い。登下部落に向かうも、終点は行き止まりで、コヤシロ山に登る林業用の道どころか、「登山道入口」の指導標すらも見つからない。目標の神社も見つからない。想定外だが、登頂は諦めた。
【三番目の橋】
次の橋は、旧道をトラバスするためで、名前はない。
【四番目の橋】
次の橋も同じだ。ここからの、旧道の眺めが良かった。
【五番目の橋】
次の橋も同じだ。落葉が積もっている。
【六番目は、新宮下橋】
次は、新宮下橋だ。
【七番目は、用竹林道橋】
次は、用竹林道橋だ。県道が開通するまでは、この林道が生活道路だっただろうが、険しそうな道だ。この橋を渡ると、ふるさと長寿館、棡原駐在所、上野原市棡原出張所、棡原郵便局がある。かっては、小学校、中学校も所在する。この地域で唯一のガソリンスタンドも農協もあるから、棡原の官庁街といった場所だ。ここで、せいだのたまじと酒まんじゅうで、腹を満たす。
【八番目は、俣渡橋】
俣渡橋を渡って、ここから小菅方向に進路をとるわけだが、この橋で下を覗くと、紅葉が美しい。
【県道小菅線の指導標】
【林道の指導標】
【不動の滝】
この滝は、12メートルというのに、音が凄いし、見た感じも、満足した。ずーっとここに居たいが、そうもいかない。ぜひ、見るべきでしょう。
【大垣外集落】
大通寺の本堂の前の地蔵は、二人並んで彫られた仲良し地蔵だ。かっての棡原村は、夫婦そろて元気で長寿な村だった。ここならではの、夫婦の供養だろう。草花を供えたかったが、ない。
帰路、せいだのたまじの石碑のある寺に立ち寄れた。ここから、今度、富士山を視るために登る山々が、みれた。
甲州街道に出れました。
「☆hachibic甲武トンネル~八王子走行(mixi連動)」について 掲載日2010年10月03日
「ロードバイクの普及啓発に貢献されたなるしまフレンド会長が、先月15日にご逝去されたのをなるしま公式Webで知りました。生前はお世話になっております。ご逝去をいたみ謹んでお悔やみ申し上げます。」について 掲載日2022年11月05日
「乗鞍ヒルクライム 練習コース64㎞を僭越ながら、今日は走ったり、歩いてきた。前立腺肥大の影響は、全く感じず。ただし、動脈硬化と腎臓老化の影響は、知らないが。帰宅して手にした読売新聞の地域情報紙よみっこの今朝の表題は「受けたもう」は、ぴったしだった。」について 掲載日2024年11月10日
目的地は、上野原市棡原地区だ。昭和の末期に都市一極集中政策が続いていたこともあって、住民の7割が、人や商店の密集した上野原市の市街地に転居してしまた地区である。コヤシロ山から富士山を撮影する絶好のチャンスだ。その後で、元気が残っていれば小菅村に近い不動の滝を撮影することだ。自宅を11時前にでたが、大垂水峠越えが、思ったよりキツイ。
甲武トンネルの帰路に上野原で出会ったなるしまフレンド イーランを思い浮かんだ。若い女性を70人も会長が引率してJR四方津駅の帰りだといっていた。下りも登りも関係なく、常に平常心でケインズとスピードを一定に保って、ペタルをクルクル回す。それを、思うと何にも言えない。ここは、弱音を吐かず黙々と大垂水峠越えをするばかりだ。
峠に着いたが、会長馴染みのラーメン屋『富士屋』がない。閉店したようだ。雛鶴峠を越えて、富士急の禾生駅帰りには、必ず立ち寄った。何も食べない極限状態で、大垂水峠を降りると、身体がゆうことを効かないハングノックに、かかって危ないからだ。
峠を越えると、こちらのものだ。なるしまフレンド イーランを思い浮べて、すいすいとペタルを漕ぐしかない。相模湖駅、藤野駅を越えて上野原市街に入った。甲武トンネルを経て東京都檜原街道に通ずる上野原あきる野線に、道路案内板を視て右折する。
【鏡渡橋】
この県道は、やたらと橋が多いが、川を渡るための橋ばかりではない。多くが、曲がりくねった山道を直進するための橋だ。最初に出会うのは、鏡渡橋だ。烏帽子のデザインが、ユニークだ。
傍らに松尾芭蕉の句碑があるが、字が摩耗して読めない。松尾芭蕉は山梨では一句も詠んでいないので、 句碑は全て後世のもの地元の句会の皆さんが、この地がふさわしいと、立てたものだ。天保14年(1843年)に、八米部落連中建立した。鶴川の川床に落ちていたものを引き上げ 昭和三十六年修造して鏡渡橋畔に立てたと、記録がある。
ほとゝきす横たふ聲や水の上 はせを
【棡原大橋】
次が棡原大橋だ。わざわざ橋の名前に大を付けてのは、きっと意味がある。碑文
「古来、村人は健康で人情に篤く、粗衣粗食、耕雲種月の日々を楽しんできた…(中略)…女性は多産且つ母乳豊富、老人は皆天寿を全うしまさに、身士不二(しんどふじ)の桃源郷である」
ここに日本医師会が建立した石碑『長寿村 棡原』があるが、自転車でもスピードが一番出るので、見逃してしまう。ましてや、地元の車でも、気付かないようだ。NHKの歴史探偵の官庁風の人に出会った。富士山が、綺麗だったと感動に満ち溢れておられた。でも、ふるさと長寿館のお姉さん曰く、午前中しかダメだよと!午後は、水蒸気があがるらしい。
【登下部落】
富士山展望の期待を胸にここから、自転車では登れない程の急坂を登って行く。子ども達は、この坂を上り下りして、登下校していたかと思うと、感慨深い。登下部落に向かうも、終点は行き止まりで、コヤシロ山に登る林業用の道どころか、「登山道入口」の指導標すらも見つからない。目標の神社も見つからない。想定外だが、登頂は諦めた。
【三番目の橋】
次の橋は、旧道をトラバスするためで、名前はない。
【四番目の橋】
次の橋も同じだ。ここからの、旧道の眺めが良かった。
【五番目の橋】
次の橋も同じだ。落葉が積もっている。
【六番目は、新宮下橋】
次は、新宮下橋だ。
【七番目は、用竹林道橋】
次は、用竹林道橋だ。県道が開通するまでは、この林道が生活道路だっただろうが、険しそうな道だ。この橋を渡ると、ふるさと長寿館、棡原駐在所、上野原市棡原出張所、棡原郵便局がある。かっては、小学校、中学校も所在する。この地域で唯一のガソリンスタンドも農協もあるから、棡原の官庁街といった場所だ。ここで、せいだのたまじと酒まんじゅうで、腹を満たす。
棡原郵便局
ふるさと長寿館
【八番目は、俣渡橋】
俣渡橋を渡って、ここから小菅方向に進路をとるわけだが、この橋で下を覗くと、紅葉が美しい。
せいだのたまじ石碑
俣渡橋
【県道小菅線の指導標】
【林道の指導標】
【不動の滝】
この滝は、12メートルというのに、音が凄いし、見た感じも、満足した。ずーっとここに居たいが、そうもいかない。ぜひ、見るべきでしょう。
【大垣外集落】
大通寺の本堂の前の地蔵は、二人並んで彫られた仲良し地蔵だ。かっての棡原村は、夫婦そろて元気で長寿な村だった。ここならではの、夫婦の供養だろう。草花を供えたかったが、ない。
帰路、せいだのたまじの石碑のある寺に立ち寄れた。ここから、今度、富士山を視るために登る山々が、みれた。
甲州街道に出れました。
「☆hachibic甲武トンネル~八王子走行(mixi連動)」について 掲載日2010年10月03日
「ロードバイクの普及啓発に貢献されたなるしまフレンド会長が、先月15日にご逝去されたのをなるしま公式Webで知りました。生前はお世話になっております。ご逝去をいたみ謹んでお悔やみ申し上げます。」について 掲載日2022年11月05日
「乗鞍ヒルクライム 練習コース64㎞を僭越ながら、今日は走ったり、歩いてきた。前立腺肥大の影響は、全く感じず。ただし、動脈硬化と腎臓老化の影響は、知らないが。帰宅して手にした読売新聞の地域情報紙よみっこの今朝の表題は「受けたもう」は、ぴったしだった。」について 掲載日2024年11月10日
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